「目は冷たいのに身体は暖かい」長野の冬の香り

Mame Kurogouchi 初のフレグランスが3年の年月を経て完成が近いという。香りのテーマとなる「冬の長野の香り」それは一面の銀世界の下に春を待つ植物たちの息吹と、凍える景色を暖かい部屋から見る「目は冷たいのに体は暖かい」対極の同時体験をインスピレーションのスタートだという。

前回までのお話しはこちらから。マメの香りを発売前に考えてみた
Mame Kurogouchi初の香水はどんな香り?もうすぐ発売!

そこで、黒河内さんと同じ長野県出身で郷土愛の深いファッションライターのかたに長野の冬の景色、目は冷たいのに身体は暖かい感覚とその香りについてお伺いしてみた。


引用:https://www.instagram.com/mamekurogouchi/

長野の冬のにおい

この文章を書いている私は、黒河内さんと同じく、長野県に生まれ育ちました。
大学進学で東京に出るまで、雄大な山々に囲まれた信濃川水系の大きな川の近くに暮らし、大量のファッション雑誌をボロボロになるまで読んで過ごしていた私にとって、Mame Kurogouchiはとびきり特別な存在です。
黒河内さんが創り出すものには、自らのルーツや長野での記憶が大切に織り込まれていて、作品やストーリーに触れるたびに胸が熱くなります。

そして今回は通常のクリエイションとはまた違った「香り」の創造。
目にも見えず、触れることもできない「香り」であるからこそ、コンセプトである「長野の雪景色」の空気感がより重要になってくるに違いないと、ワクワク感が募っています。

暖かい部屋から見る一面の銀世界、「目は冷たいのに身体は暖かい」「対極の感覚が同時に押し寄せてくる」感覚を香りにする。
そう聞いたとき、私のまぶたの裏には大晦日の夜に家族と過ごしたワンシーンが鮮明に浮かび上がりました。
暖かな部屋でこたつに入り、紅白を見たり話に興じたりしながら、ふと窓の外を見ると、庭にも隣のりんご畑にもしんしんと雪が降り積もっている、そんなシーン。
さらに続けて浮かんできたのは、今も昔も変わらない、年明け0時過ぎに神社に初詣に出かける場面です。
暖かな部屋からきりっと引き締まった空気の中に出て、澄んだ星空を見上げながら足元の雪を踏みしめて歩いていくと、神社の境内では焚き火が赤々と燃えている。
私にとってはその一連の流れが、長野の暖かさと冷たさを象徴しているように思えました。
家族とともに年をまたぐ時間は、私にとっては何気ない大切な日常を凝縮したような幸せな時間です。
「ベーシックス」で展開され、ときによらずいつでも身に纏ってほしいというMameのフレグランスからは、そんな幸せがさりげなく香るといいなと、期待を膨らませています。

一方で、私の「きれいにまとまった」イメージではカバーしきれない、真逆ともいえる要素が、Mameの香水の中で存在感を放っているのは確実です。
それは、香りをデザインする和泉さんや黒河内さんが、Mameフレグランスの中核をなす「フジバカマ」に感じたという「なまめかしい」「蠱惑的」なアロマ。
黒河内さんの友人で作家の朝吹真理子さんは、完成した香水を纏ったとき、「刃傷沙汰になるまで焦がれそうな色っぽい人」をイメージしたといいます。


引用:https://okazaki-kanko.jp/mizutomidori/creature

ただ私は、「暖かな部屋から見る雪景色」というテーマからはなかなか「色っぽい香り」を想起することができず、何故なまめかしく蠱惑的な香りが重要なアロマとして出てくるのかピンときませんでした。
そして、しばらく考えたのちに思い至ったのが、「黒蝶」の存在です。
フジバカマの花には、その蜜だけを求めてアサギマダラという美しい黒蝶が海を越えて飛来します。
出会いの当初から黒河内さんに黒蝶のイメージを持っていたという和泉さんは、Mameの香水に、その黒い蝶の気配も潜ませたいと考えていたそう。
フジバカマの精油から香っているのは、黒河内さんとそのクリエイションに重なる、アサギマダラという美しい生命の妖艶な雰囲気なのかもしれません。

さらに調べを進めたところ、Mameのシグネチャーとなるであろうこの花と蝶は、どちらも「毒」を持っていることがわかりました。
「対極の感覚が同時に押し寄せてくる瞬間」が好きだと語る黒河内さんの感性から生み出されたのが今回のフレグランスです。
清らかな白雪に混じる毒
冴えた冬の空気に宿る色香
自然の中にある人の息吹
マットな墨黒のボトルの中では、対極にあるものの美しい調和が細かな粒子となって優雅に漂っているのかもしれません。
ただただ清らかな香りも素敵ですが、少しも毒を持っていない人間など存在せず、毒のある美しさにこそ惹かれるのが、人間というものではないでしょうか。
Mameの香水を身に帯びたときに引き立つのは、清廉潔白な美しさではなく、毒を芯の強さに変えながら日常を丁寧に生きる人の美しさではないかと思うのです。

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