今年、2022年8月に84歳で生涯を終えられたファッションデザイナーの三宅一生氏。日本のファッション業界に与えた功績は計り知れないものがあります。
これまでもちろんISSAY MIYAKEというブランドは知っていたけど手にしたことはなかった。そんなかたにお伝えしたい。「やっぱりすごいですよ!」
過去を紐解いて現在までの魅力を知るとグループブランド、これまで携わってきたデザイナー、長い歴史のアーカイブを含めて知りたくなることがたくさん。それはそれは深い沼の入り口です。
三宅一生は日本のファッションデザイナーのパイオニア
日本のファッションデザイナーの第一人者で生涯トップを走り続けた三宅一生氏が撒いたひとつの種は今では数々のデザイナーやブランドを育てて大きな森のようになっています。
↓ mameやCFCLもISAAYMIYAKE出身です
1970年代のDCブランドブーム
1970年代から80年代にかけて「DCブランド」デザイナーズ(Designer’s) & キャラクターズ(Character’s)というワードが誕生します。個性を前面に出したデザイナーブランド。日本ではこれまで注文服もしくは既製服の凡庸な同一大量生産で、このようなデザイン性が高い少量生産の形態で服を作られることがなかったのです。その日本人のデザイナーが世界に認知されるようになった創成期を代表する3人。言わずとも知られた 山本耀司(Y’s)、川久保玲(コム・デ・ギャルソン)そして三宅一生(ISSEY MIYAKE)です。
ISSAY MIYAKEのはじまり
1970年、「三宅デザイン事務所」を設立
1973年 「ISSAYMIYAKE AWコレクション」でパリ・コレクションに初参加
もっと詳しく知りたい方は デザイナー 三宅一生とは
株式会社三宅デザイン事務所 公式サイト
ISSAY MIYAKEグループ現在のブランド
この中からいくつかご紹介いたします。
ISSEY MIYAKE
1971年、ニューヨークで初めてのコレクションを発表。1973年秋冬シーズンからは、パリでコレクションを発表しています。三宅一生の服づくりは、当初から今日に至るまで「一枚の布」という考えに貫かれています。それは東洋・西洋の枠をはずし、身体とそれをおおう布、その間に生まれるゆとりの関係を根源から追求するものとして、世界中で大きな驚きと共感を得てきました。多くの人材や革新的な技術を生み出しながら、1本の糸から研究しオリジナル素材をつくることから始まる服づくりは、世代を超えて現在も引き継がれています。2020年春夏コレクションからは、デザイナー近藤悟史が担当。豊かな発想を活かし現代における身体と衣服の関係を探求しています。
https://www.isseymiyake.com/ja/brands/isseymiyake
ファーストブランドの ISSEY MIYAKE
美しいライン、安定感のあるアイテムが揃っています。
マシンプリーツとハンドプリーツを組み合わせたプリーツワンピース。表面に繊細な毛羽のあるポリエステル素材を使用し、シルクのような柔らかな風合いに仕上げています。美しい光沢と鮮やかな発色が特徴的なアイテムです。
ポリエステルのサテン生地にプリーツ加工を2回施した柔らかな風合いと弾むシルエットが楽しいプリーツワンピース。
me ISSEY MIYAKE
軽量でコンパクト、着こなしやすく、イージーケア、生活を快適に楽しむための服をコンセプトに、2000年からスタートしたブランドです。
着るよろこびを追求した独自の素材開発を続け、色やプリントのバリエーションも豊富に、1年を通してさまざまな場面で活躍する服を提案しています。
https://www.isseymiyake.com/ja/brands/me
お値段もお手頃で普段使いにストレスなく使えそうなアイテムが揃っています。
人気のトランクプリーツショルダーバッグは木の幹からインスパイアされた直線的なラインとユニークな持ち手が特徴。サイズも3種類、カラーバリエーションもたくさんです。プリーツを広げるとこのように変化します。(カラーは変わりません)
来シーズン春夏のカタログから。
こんなにポップでユニークなアイテムもありました。気分があがる毎日になりそうです。
HaaT
テキスタイルから発想するブランドとして2000年にスタートしました。
コンセプトは3つのハート。ビレッジマーケットを意味するHaaTには国境を越えてさまざまな技術、素材、美意識が集まります。日本で開発する上質なテキスタイルや長く培われてきた技法を今の服に活かしたHEART(心)、そして日本のデザインとインド最高水準のクラフツマンシップを融合させたHAATH(手の意味)。ISSEY MIYAKEのテキスタイルディレクターとして活躍してきた皆川魔鬼子をトータルディレクターに、手の温もりが伝わる長く楽しめる服と小物を提案しています。
https://www.isseymiyake.com/ja/brands/haat
132 5. ISSEY MIYAKE
ブランド名の由来は布は一次元から立体造形で三次元が生まれ、折りたたむと二次元になり身につけると時間や次元を超えた五次元になるという思いが込められている。
https://www.isseymiyake.com/1325/standard/
そのブランドの名前の通り、一枚の布から立体的なものが作られています
折りたたむと二次元に
↑ こちらのワンピースは畳むとこんなことになります
バックもこんなことになります
世界中の人々から愛されるイッセイミヤケです。ファッション業界関係者やアジア圏の方たちから熱烈な支持を受けていたBAOBAOのバッグも発売から20年を超えて更に進化を続けています。
ISSAY MIYAKEの魅力はアーカイブスにも
日本の中古市場が注目されています
ISSAYMIYAKEを愛する人々は新作だけでなく、コレクターアイテムとなる過去に発表された作品にも注目しています。パリコレに参加してから50年を迎える老舗ブランド。海外のファンたちから初期に発売された商品の所有者が多い日本の中古市場におのずと期待が集まっています。
アート三宅一生がグラフィックデザインを多摩美術大学で学んでいたことからファッションデザインだけでなく広義のデザインに造詣が深かったことから、これまでにいろいろなアーティストとのコラボを行ってきているISSAYMIYAKEには両者が共鳴しあい名作を数多く生んできました。今ではファッションとアートのコラボレーションは珍しくありませんが、ルイヴィトンがスティーブン・スプラウスとグラフティラインを発表したのが2001年です。ISSAYMIYAKEはそれより以前から(1976年横尾忠則のプリントを使っています)アーティストとのコラボレーション作品を発表していて、アートとの融合の先駆けと言えます。
時代のアーティストとのコラボレーション
グラフィックデザイナー田中一光氏
田中一光と1960年代に出会い交流を深めてきました。田中氏の行う仕事への尊敬や刺激を受けた感謝の気持ちを表現するためにスタートしたアパレルシリーズ「IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE」。2016年からスタートして5回を数える中でたくさんの名作を生みだしてきました。
田中一光(たなかいっこう)氏とは
1930年生まれ。昭和期を代表するグラフィックデザイナーの一人として活躍した。グラフィックデザイン、広告の他、デザイナーとして日本のデザイン界、デザイナーたちに大きな影響を与えた。文化功労者。
デザイナー村上隆氏と
2000年にISSEY MIYAKE MEN x KaiKai Kiki として発表されました
村上隆(むらかみたかし)氏とは
1962年生まれ。日本の現代美術家、ポップアーティスト。
東京藝術大学美術学部日本画科卒業、1988年同大学大学院美術研究科修士課程修了
日本のアニメに影響されたポップな作風
グラフィックデザイナー永井一正と
2014年 Kazumasa NAGAI + PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE は永井一正「LIFE」シリーズの作品をモチーフに、さまざまな生命への畏敬の念や、ともに生きることへの希望、いのちと自然への思いが込められたウェアや小物を制作。富山県立近代美術館で開催された「永井一正 ポスター・ライフ 1957-2014」で作品として展示され同美術館ミュージアムショップ、ISSAYMIYAKE店舗にて発売された。
永井 一正(ながい かずまさ)氏とは
1929年生まれ。日本のグラフィックデザイナー。日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員
現代美術家タカノ綾と
当時ISSAYMIYAKEのレディース部門のデザイナーであった滝沢直巳氏とのコラボで2003年イッセイ・ミヤケのために滝沢直己とのコラボレーション 2004AW issay miyake by naoki takizawa×aya takanoはレディースウエア、下着やレインブーツ、アンブレラ、機内持ち込みトロリーなどの小物もつくられました。
タカノ綾(たかのあや)氏とは
1976年生まれ。日本の現代美術家、イラストレーター、漫画家。Kaikai Kikiメンバー
多摩美術大学芸術学科卒業。主に少女をモチーフにし、日本の漫画やSF小説などさまざまな媒体に影響された作風で、幻想的な独特の世界を描く。
現代美術家 森村泰昌、荒木 経惟とのコラボ
1996年から1998年にPLEATS PLEASE GUEST ARTIST SERIES として4人のアーティストとのコラボレーションを行いました。 最初が現代美術の森村泰昌、写真家 荒木 経惟、アメリカの芸術家Tim Hawkinson( ティム・ホーキンソン)、中国の現代アーティスト蔡 国強 (さい・こっきょう、ツァイ・グオチャン、Cai Guo-Qiang)
森村泰昌(もりむらやすまさ)氏とは
1951年生まれ。日本の現代芸術家。ゴッホの自画像に自らが扮するセルフポートレート写真で話題になり
以来、一貫して時代や人種、性別を超えた様々な「他者」に自らが成り代わる「自画像的作品」パフォーマンスの表現を駆使し実践としての森村芸術を展開し続ける森村芸術は多方面に影響を与え続けている
荒木 経惟(あらきのぶゆき)氏とは
1940年生まれ。アラーキーの愛称 日本の写真家。千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業後、電通に宣伝用カメラマンとして勤める。人物写真を得意とするが、花などの静物写真、東京を対象とした都市写真、人情味溢れるスナップ写真も有名である。
グラフィックデザイナー横尾忠則、横尾美美 親子ともコラボしています
横尾忠則との出会いは1971年。パリコレのインビテーションカードのデザインを依頼してから1976年よりテキスタイルも毎年のように手掛けています。言葉を交わさなくても通じ合えているというほどの友情関係であったと横尾氏が2022年三宅一生氏の訃報に際して語っています。
【2022年惜別】三宅一生さん 画家・横尾忠則「会話をしなくても通じあう友人」
1998年からスタートしたブランド「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE」から TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE シリーズ0・1・2・3 が発表されている。
横尾 忠則(よこお ただのり)氏とは
1936年生まれ。美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家。グラフィックデザイナーから精神世界に傾倒した後、版画家、ピカソ展で影響を受け一瞬にして画家へ。Y字路、猫のタマ個性的な執着を持ち、三島由紀夫、篠山紀信など親交が深い。
横尾美美とのコラボレーションは me ISSEY MIYAKEより MIMI YOKOO ISSEY MIYAKE 2017年より”HANA ” “SERVAL CAT” “meow” これまで3回行っている。
横尾美美(よこおみみ)氏とは
1964年生まれ。グラフィックデザイナー 横尾忠則氏の娘。緻密に描く画風でポップな色使いで動物や植物を描く。
1970年代から第一線を継続したきたブランドには歴史の長さ分だけ作品やエピソードがあります。インターネットがない時代では情報を収集することも、オンラインでお買い物もできませんでした。ファッション雑誌やお店のスタッフさんたちからの情報が貴重なものでした。「懐かしいな・・・」と思われたかたもいらっしゃると思います。名作アーカイブ、もしもお持ちでしたらお宝になっているかもしれません。
「あぁぁ 持っていたかも」
「こんなもの持っていますが売れる?お買取り価格はいくらくらい?」
「どなたかに着ていただけたら嬉しい」
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