ISSEY MIYAKEイッセイ ミヤケのデザイナー 三宅一生

ISSEY MIYAKEのデザイナー三宅一生

日本を代表するブランドISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)。
「一枚の布」をブランドコンセプトに
糸から研究し素材からつくりあげられるISSEY MIYAKEの服は、国境・世代を超え多くの人から支持されています。
そんな「ISSEY MIYAKE」を立ち上げたデザイナー「三宅一生」とは一体どんな人物なのか紹介していきたいと思います。

    • 目次

デザイナー三宅一生とは?

プロフィール


https://mds.isseymiyake.com/im/jp/

  • 三宅 一生(ミヤケ カズナル)
  • 1938年4月22日~2022年8月5日(84歳没)
  • 広島県広島市出身

学歴

  • 広島市立尾長小学校
  • 広島大学附属東雲中学校
  • 広島国泰寺高校
  • 多摩美術大学図案科

人柄

学生の頃から「世界デザイン会議」事務局宛に「なぜ服飾デザインを含めないのか」質問状を送ったり
ファッションやデザイン、またその歴史を研究するグループ「青年服飾協会」を立ち上げるなど
デザインに関して強いこだわり、熱意、愛情を感じます。
また、イッセイミヤケのクリエイティブ・ディレクター兼ファッションデザイナーを勤めていた滝沢直己氏は
世界中の多く人々から愛された一生さんを「世界のミヤケ」としたのは相手を思いやり、愛情あふれる人柄もあってのことだったのだと思います。
と語っています。

三宅一生の経歴

デザインの道へ進む少年時代

三宅氏は1938年4月22日に広島県広島市に生まれました。小学1年生当時7歳の頃、広島で投下された原爆の被害を受けます。
小学生の頃、担任の先生に絵の楽しさを教えてもらい、そこから小・中・高と美術部に所属していましたが
「絵描きは貧乏イメージがあったから」と絵を職業にしようとは考えていなかったようです。
そんな三宅氏にデザインの道へ進むきっかけを与えたのがアメリカの彫刻家の「イサム・ノグチ」氏でした。
イサム氏の設計した平和大橋と西平和大橋に深く感銘を受けデザインの道へと進みます。


平和大橋https://tripeditor.com/

日本ファッション界の寵児と呼ばれた大学時代

三宅氏は高校を卒業後上京し、多摩美術大学図案科に入学しました。


多摩美術大学https://www.google.com/

洋裁学校に通っていた姉の影響で「ファッション」に興味をもっていたことから、
多摩美ではグラフィックデザインを学びながら、服飾デザインを始めます。
在学中、服の作り方だけでなく、デザインの歴史や文化的な背景を学び、研究する有志のグループ「青年服飾協会」を立ち上げます。
当時から、「糸から研究し素材からつくりあげられるISSEY MIYAKEの服づくり」を感じられるこだわり、追求心が伺えます。
在学中の1961年、装苑賞に応募し第10回、第11回と2年連続で受賞しました。
その後、東洋レーヨンからカレンダー用の衣装制作のオファーを受けるなど注目されていきます。

世界で活躍するデザイナー下積み時代

卒業後の1963年に自身の初めてのコレクション「布と石の詩」発表し、
2年後の1965年にはパリに渡りサンディカでファッション・オートクチュールを学びます。
その後ギ・ラロッシュや、オードリー・へプバーン主演映画『ティファニーで朝食を』の黒いドレスをデザインしたジバンシィの元でアシスタントとして働きます。その頃のパリでは、オートクチュール「高級な仕立服」からプレタポルテ「高級な既製服」にファッションの主流が移ろうとしていました。
1968年、三宅氏は労働者階級や学生などが行った大規模なゼネラル・ストライキ「五月革命」を目の当たりにし、そこに参加していた人々をみて「こういう人たちの服を作りたい」「わずかな人ではなく、多くの人への服作りをしたい」と考えはじめます。当時のパリで得た感情から三宅一生の服づくり、「一枚の布」という考え、後のイッセイミヤケのコンセプトが生まれたと考えられます。
パリで4年修行した後、ニューヨークに渡ります。ニューヨークでは、ジェフリー・ビーンの元で働き、プレタポルテについて学びます。

イッセイミヤケの始まり

アメリカのニューヨークで1年働いた後、1970年に日本に帰国します。
その年に「三宅デザイン事務所」を設立します
1971年に「ISSEY MIYAKE」としてニューヨークで海外初のコレクション発表しました。
ここから「ISSEY MIYAKE」は始まりました。

ISSEY MIYAKEの歴史

  • 1970年
    三宅デザイン事務所設立
  • 1971年
    ニューヨークで海外初のコレクション発表
  • 1973年
    73年秋冬よりパリコレクションに参加
  • 1975年
    ニューヨーク、メトロポリタン美術館主催「Inventive Clothes 1909-1939」を「現代衣服の源流展」として京都国立近代美術館にて企画再現。(塚本幸一・京都商工会議所ファッション産業特別委員会会長(当時)の協力を得て実現。これを受け78年京都服飾文化研究財団(KCI)が設立。)

  • 1976年
    ショウ「三宅一生と12人の黒い女たち」(東京・西武劇場、大阪府立体育館)

  • 1977年
    76年度毎日デザイン賞記念ショウ「Issey Miyake in Museum — 三宅一生と一枚の布」(東京・西武美術館)
    ショウ「Fly With ISSEY MIYAKE」(東京・明治神宮外苑室内球技場、京都府立体育館)

  • 1978年
    「間 日本の時空間」展に参加(パリ・装飾美術館、ニューヨーク・クーパーヒューイット美術館)

  • 1979年
    米アスペン国際デザイン会議に招聘され、ショウ「Issey Miyake East Meets West」発表

  • 1982年
    『Artforum』誌(米)のカバーストーリーに紹介される(テキスト:Ingrid Sischy、Germano Celant)
    ニューヨーク、航空母艦イントレピッド号にて83年春夏コレクションを発表。オープニングにてブランド「PLANTATION」を紹介

  • 1983年
    「ISSEY MIYAKE SPECTACLE: BODYWORKS」展(東京・ラフォーレ・ミュージアム飯倉、ロサンゼルス・オーティス・パーソンズ・ギャラリー、サンフランシスコ近代美術館、85年ロンドン・ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム)

  • 1986年
    アーヴィング・ペンによる「ISSEY MIYAKE」コレクション撮影がスタート
    『Time』誌(インターナショナル版)にカバーストーリーとして紹介される(筆:Jay Cocks)

  • 1988年
    プリーツの仕事を始める
    「Issey Miyake A-ŪN」展(パリ・装飾美術館)

  • 1989年
    「Issey Miyake Meets Lucie Rie」展を企画実現(東京・草月ギャラリー、大阪市立東洋陶磁美術館)

  • 1990年
    第1回ヒロシマ賞記念「三宅一生展 TEN SEN MEN」(広島市立現代美術館)
    「Energieën(エナジーズ)」展に参加(アムステルダム・ステデリック・ミュージアム)
    「三宅一生展 プリーツ・プリーズ」(東京・東高現代美術館)

  • 1991年
    1991年秋冬パリコレクションにて、のちのPLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEの原型となるニット素材のプリーツ服を発表
    ウィリアム・フォーサイスとフランクフルト・バレエ団の公演「失われた委曲」のコスチュームデザイン・制作
  • 1992年
    第25回バルセロナ・オリンピック競技大会リトアニア代表選手団の公式ユニフォームをデザイン・制作
    「三宅一生展 ツイスト」(香川・直島コンテンポラリー・アートミュージアム)
  • 1993年
    ブランドPLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEスタート
  • 1997年
    「イサム・ノグチと三宅一生 アリゾナ」展(香川・丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)
  • 1998年
    A-POCプロジェクトを始める
    「ISSEY MIYAKE MAKING THINGS」展(パリ・カルティエ現代美術財団、99年ニューヨーク・エース・ギャラリー、2000年東京都現代美術館)
  • 2000年
    A-POCがグッドデザイン賞 大賞受賞
  • 2001年
    「A-POC MAKING : ISSEY MIYAKE & DAI FUJIWARA」展(ヴィトラ・デザイン・ミュージアム・ベルリン)
    「ラディカル・ファッション」展に参加(ロンドン・ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム)
  • 2003年
    「なんなの?A-POC MIYAKE ISSEY + FUJIWARA DAI」展(東京 Axisギャラリー)
  • 2004年
    財団法人 三宅一生デザイン文化財団設立
    「ダオメ Dahomey 1967: Photographs by Irving Penn」展を日本民藝館と共催
    「21世紀の出会い ― 共鳴、ここ・から」展(金沢21世紀美術館)にA-POC出展
  • 2005年
    「ビッグバン 20世紀の創造と破壊」展(パリ・ポンピドゥー・センター)にPLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEを出展
    横尾忠則とコラボレーション「横尾忠則が招待するイッセイミヤケ パリコレクション 1977→1999」展(富山県立近代美術館)
  • 2006年
    ニューヨーク近代美術館(MoMA)の建築・デザイン部門に「A-POC Queen」が所蔵され、同館の新規コレクション展にて紹介
  • 2007年
    21_21 DESIGN SIGHT開設。ディレクターに就任
    10月の2007年秋冬パリコレクションより藤原大がISSEY MIYAKEクリエイティブディレクターに就任し、彼とクリエイティブルームがコレクション制作スタート
  • 2008年
    21_21 DESIGN SIGHT第3回企画展「XXI c. — 21世紀人」をディレクション
  • 2009年
    21_21 DESIGN SIGHT「U-Tsu-Wa/うつわ — ルーシー・リィー、ジェニファー・リー、エルンスト・ガンペール」展をディレクション
  • 2010年
    21_21 DESIGN SIGHT「REALITY LAB 再生•再創造」展をディレクション
  • 2011年
    内閣府の認定を受け、公益財団法人三宅一生デザイン文化財団へと移行(2月1日付)
    ISSEY MIYAKE ウィメンズの新デザイナーに宮前義之を任命、2012年春夏パリコレクションより新体制でコレクション制作開始
  • 2013年
    「青森大学男子新体操部」公演開催。企画およびコスチュームデザインを三宅一生が手がける(クリエイション・ディレクション・コレオグラフィ:Daniel Ezralow/コスチューム:HOMME PLISSE ISSEY MIYAKE)<7月18日 国立代々木競技場第二体育館>
  • 2014年
    パリ・カルティエ現代美術財団美術館30周年記念展「Memoire Vives(生きた記憶)」へ陰翳 IN-EI ISSEY MIYAKEを出展参加
  • 2016年
    「MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事」(東京・国立新美術館 3.16〜6.13)
    「MANUS × MACHINA(手と機械):テクノロジー時代のファッション」展へ出展参加。(ニューヨーク・メトロポリタン美術館 5.5〜9.5)
  • 2017年
    「Items:Is Fashion Modern?」展へ出展参加。(ニューヨーク近代美術館10.1〜1.28, 2018)
  • 2018年
    イタリアの建築デザイン誌『domus』4月号にて、「Session One」を中心に三宅一生の仕事が特集される(テキスト:ミケーレ・デ・ルッキ)
    パリ装飾美術館「ジャポニスムの150年」展へ出展参加。(IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE「Nihon Buyo」「BOKUGI」他にて。11.15~3.3, 2019)
  • 2019年
    HOMME PLISSE ISSEY MIYAKE、パリにてプレゼンテーション。(1.17 ポンピドゥセンター 演出:ダニエル・エズラロウ)

引用元:https://mds.isseymiyake.com/

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